孤独の群-02友人の死

 国立創造研究学園最高学部、本年度初めての授業『基礎ヒトナミ概論』の時間にその男達はやって来た。よりにもよって最前列に座っているミヤツカに、赤い髪の男は馬鹿にするように黙って睨み目を逸らした。

「グレッダ・リーン、こちらにおられるムトー学園最高教授の最高主任助手だ。わからないことはまず僕に聞くように」

 その派手な赤髪に反して冷たい表情に抑揚を抑えた声、リーンはそう言ってから隣にいる教授に言葉を求める。ムトー学園最高教授、黒髪の色黒な肌にシルバーのフレームの眼鏡、長い髪をかき上げたその指には大きくモチーフが彫られたゴールドの指輪がいくつもつけられていた。

「私がこの学園の最高教授を務める、ジャンジャック・ムトー。学園のヒトナミ学を君らが極めてくれることを願うよ。どうか切磋琢磨して私の後について来なさい、学びは人生の糧となるからね。どうか皆、揃って聡明な研究者になるように」

 ヒトナミには現在二つの種がある。学生寮でも働いている男性型ヒトナミ、セカンドタイプ・ルカ。そして全てのヒトナミの元になったのがユオシリーズ。十年前に失踪した研究所の研究員、ジュン・レーランの恋人だった青年、ユオ・トヨムラを元に作られたものだ。三年前まではこのユオシリーズが最もメジャーなヒトナミだったが、動作の不具合や威厳のない幼い容姿が原因で使われなくなり、ファーストタイプ・ユオは今年初めに製造終了となった。なお、今後のユオシリーズの製造は未定である。
 ミヤツカがかつて暴力振るった相手がムトーの主任助手、グレッダ・リーンだった。リーンは生意気なミヤツカをいまだに根に持っているらしく、二人は授業中でもほぼ口をきくことはない。しかし、その事件についてはミヤツカも後悔なんかしていないし、一生彼を許すつもりもなかった。

 ***

「くそ、こんな課題終わるかよ」
「基礎とはいえ簡単だけど計算式が面倒だね」
「簡単ねえ……リャム、お前にはやっぱり凡人の気持ちはないんだな」
「だって授業で出てきた公式当てはめるだけじゃないか」
「どの公式がなんなのかそこから言ってくれ」

 連日の課題地獄に学生たちは根をあげていた。終わらない、難しい、量が多過ぎる。あのリャムでもまだ全てを終わらせていないのだから、今夜はどの部屋も明かりがつきっぱなしだろう。それでもまだ朝までに終われば良い方で。
 日差しのきつい日が続いていたから夜の方が活動しやすいが、日中の暑さで疲れて眠い。皆、それぞれが今、それぞれの理由で戦っている。

「ああーコーヒーでも買ってくるかあ!」
「アイスのブラックひとつ」
「胃が荒れるぞ、カフェオレにしとけ」
「コーヒーは甘くない方が好きなんだ」

 廊下に出れば消灯時刻は過ぎていても学生がうろついていた。ミヤツカは自販機でブラックコーヒーとカフェオレを一つずつ購入する。

「おい、ミヤツカ」
「何だ、カンナかよ」

 そこにはミヤツカの元同級生、ヴェル・ム・カンナが立っていた。彼も自販機に飲み物を買いに来たらしくその手にはブランド物の小銭入れを持っている。

「ミヤツカも課題終わんないんだろ?」
「何だよお前もそうだろ、カンナ」
「まあね、今年から授業も増えたしなあ。いやあ去年の基礎学が懐かしいわ」
「自慢か、バーカ」

 ペットボトルのサイダーを持って、ヘラヘラと笑う。今では上級生風吹かして、ミヤツカを馬鹿にするような笑顔をして。しかし去年の成績は同じくらいだったから、カンナも今授業について行くのに苦労しているはず。そこにふとカンナは笑うのをやめて言った。

「そういや、バーレム・クロウの話だけどさ、おふくろさん亡くなったらしいな」 
「は? なんで!」
「去年クロウが死んでから大分落ち込んで、心労が祟ったんだろ。先月の話だと」
「……」
「俺らが今更墓参りに行っても、残された家族は思い出すだろうしなあ」

 ミヤツカは答えることができずにカンナが去ってもその場に立ち尽くしていた。バーレム・クロウは大切な友達、今は亡き親友を追った不幸にミヤツカにはもう何も言葉が見つからなかった。
 ミヤツカは小一時間をうつむき誰もいない休憩室で過ごして、過去を振り払うように頭を振るって部屋に帰った。リャムは黙って課題の続きをこなしている。

「おかえり、ミヤツカ……ミヤツカ?」

 何も言わない、言えないミヤツカを気にしたリャムが振り向いた瞬間に、ミヤツカはリャムを抱きしめた。

「な、なんだいミヤツカ、苦し……」
「お前はどこにも行くなよ」
「どこにもって……行かないよ。最高学部は飛び級もないし、でも留年しなければの話だけど」
「生きてるだけで良い、どこにも行くな」
「ミヤツカ……泣いてるのか?」
「泣いてねえ、見るなバカ」

 涙が溢れて止まらなかった。クロウの不幸はミヤツカが無関係だったわけじゃない。『あの日』、ミヤツカがクロウを守れていたら、幸せな家族はきっとまだそこにあったのに。傍観者になるしかなかった愚かな自分が情けなくて仕方がない。ミヤツカの罪は今でも確かにそこにあった。
 午前二時を回った頃、開けっ放しの扉の向こうでは、無言の警備用ヒトナミが通り過ぎて行く……。
 バーレム・クロウはリャムとは正反対だった。素直で気が強く自分の感情のままに動くから周りの好き嫌いも分かれる。けれど、ミヤツカにとってクロウが大切な友人だったということは間違いない。昨年の夏に、クロウは死んだ。二十歳の彼はミヤツカの一番の親友だった。

 ***

「してない、オレは不正をしたつもりなんかなかった!」

 狭い面談室に閉じ込められて、クロウは必死の声をあげる。そこでは赤髪の男が薄汚れた白衣を着て、クロウをただ睨みつけているだけだった。

「つもりはなくとも結果がそう見せているんだよ。ムトー教授は謝れば留年措置で見過ごしてやるというがね」
「あのレポートの実験結果はオレが最初から一人で書いたものだ! 誰のものも写していないし、他人に教えたつもりもない……!」

 クロウはあくまで不正行為をしたつもりはなかった。ただ提出されたそのレポートがあまりの数人の学生のものとたまたま類似しすぎていて、しかしそれぞれ誰も不正は行っていないと言う。その中で一番生意気だったのがクロウだったから、個人的な感情で今リーンは彼に詰め寄っている。クロウが面談室に連れて行かれて半日が過ぎていたが、部屋で残ったミヤツカは何も出来なかった。友人が不正行為をしてなんかいないのはミヤツカが一番わかっていたし、問われれば違うと断言出来る。でも一向にクロウが面談室から出てこないから、どうしたら良いのか戸惑っていた。
 その日クロウが解放されたのは深夜も過ぎた頃。明かりのついていない部屋のドアが静かに開いて、同室だったミヤツカはベッドから起き上がる。

「大丈夫だったか、クロウ……」
「……」

 沈んだ顔したクロウはしばらくの間沈黙していた。ミヤツカはそっと彼を伺うも、良い結果になったわけではなさそうだった。

「母さんに、なんて言ったら良いのかわからない」

 それだけ言って、クロウは黙って部屋から出ていく。最後に何も言えないまま彼を見送ったのはミヤツカだった。家族を大事にしていたクロウ、借金してまでこの学校に進学させてくれた母を彼は誰よりも大切にしていた。

 ***

「起きろ! ミヤツカ!」

 早朝、あまり眠れない夜を過ごしたミヤツカのもとへ、カンナが慌ててやって来た。その顔はひどく青ざめていて、何事かとミヤツカは飛び起きる。

「何があった、カンナ」
「クロウが……」
「え?」
「クロウが、死んだ」

 庭では人混みが出来ていた。駆けつけたミヤツカはその惨状に思わず座り込む。大きな木の下で首には千切れた紐が巻きついていて、それはまるで眠っているみたいな……。

「クロウ……!」

 部屋を出て行ったあの時、彼の背中を追いかけてやればよかった。
 執拗なリーンの詰問の結果、クロウはそのまま留年ではなく退学処分になったと聞いた。絶望のクロウ、それは母親には言えるはずのなかったこと。
 感情のままその日ミヤツカはリーンにその事実の是非を正しに彼の研究室に乗り込んで、結果彼を殴りつける寸前で周りの学生に止められる。

「はなせ! ふざけんなよ、人殺し……!」
「講師に向かってその態度はなんだ、君も退学処分になりたいのかい?」
「クロウは何も悪いことはしてない!」
「それは彼も認めたことだよ」
「嘘だ!」

 長時間面談室に閉じ込められて、解放されるにはそう言うしかなかったのだろう。クロウの心を思って、ミヤツカの頬からは涙が伝い流れる。数人の学生がミヤツカを引きずってリーンの研究室を後にした。
 その日、グレッダ・リーンを侮辱したとして、ミヤツカは留年と言う措置が取られた。しかし何があろうとも、もうクロウは戻ってこない。自分が留年したことよりも、大切な親友を失った。その事実がただ彼の心に刺さって抜けなかった。

 ***

「素晴らしい、リャム・ルーのレポートは君らの中では一番評価は高かった。皆も彼を見習うように」
「……」

 授業にてムトーに絶賛されたリャムは黙って頭を下げる。天才の才能を間近で見た学生らはただ圧巻され言葉にならない。リャムに対しては今までいろんな声も多かったが、こうして結果に出されれば誰もこれ以上彼を批判することは出来なかった。

「リャム、せめてもうちょっと食べろよ」
「良いよ、もう食べた」
「だめ、ほらもう一口!」

 天才は褒め称えられたものの、その日の夕食はいつも以上に食べなかった。少し疲れていたのだろう、けれど食べなければ体力は落ちる一方だしハードな課題は今日も多い。ミヤツカはトングで野菜炒めをトレーからリャムの皿に乗せる。リャムの何とも言えない顔、マナーとして一度盛り付けてしまえば返すことも出来ない。

「野菜なら良いんだろ?」
「良いけど……多いよ、少し食べて」
「だーめ」

 先程までのエリートの顔は半ば泣きそうな幼い子供の顔に変わった。それを知りながら、ミヤツカは黙ってリャムの隣で余っていたパンを食べる。リャムはため息をつきながら少しずつ食事を進めていった。
 子供の頃は好き嫌いはしてはいけないとしつこく習ったものだが、リャムはそう言った経験はないのだろうか。そう言えばリャムから家族の話は聞いたことがなかった。ここまで勉強が出来ると言うことは幼児期からきちんとした教育を受けてきたのだろう。相当裕福な家庭で育ったことは想像出来る。どうせろくに苦労もしなかったのだろうな、ついそう思ってしまう自分がミヤツカは少し嫌だった。

 ***

 その日の夜はたまった疲れを解消しようとミヤツカは大浴場でゆっくりと時間を過ごした。寮の自室に戻ったところ、リャムの声が聞こえる。誰か来ているのか、そっと中をのぞくとどうやら電話をしているらしい。

「うん……僕は大丈夫やから、……はい、母さんもな、気をつけて……」

 多少のなまりを交えながらリャムはどこか幼い声で話している。母親と電話をしているのか、そう言えば彼の家族構成ははっきりと聞いたことはなかった。

「何? そんなところで、さっさと部屋に入らないかミヤツカ」
「何って電話してるみたいだから気を遣ってやったんだろ」
「ああ、それはどうも」

 その声に先程の柔らかさはなく、いつもの尖ったリャムに戻っている。その違いに思わずミヤツカは彼のプライベートを聞いてしまった。

「お前さ、ひとりっ子か末っ子って感じだろ? 甘やかされて、勉強は何人も家庭教師付けてもらって」
「……だったらどうだって言うんだい」
「別に、ちょっと気になっただけー」
「残念ながら大外れだけどね」
「えっ」

 消灯時間も近付いていると言うのにそのままリャムは部屋を出ていってしまった。あまり聞いてはよくないことを聞いてしまったのかもしれない。けれどそんな彼の態度を見て、さらにミヤツカはリャムが気になって行く。

「……友人?」

 いや勘違いもいいところだろう。リャムは誰にも本心を見せない。