孤独の群-01アンドロイド

 この国において個人の欲望のままに『アンドロイド・ヒトナミ』を造るのは倫理違反である。彼らは自ら生殖能力を持たないため、製造は一部の研究者のみに託されていた、それが国立ヒトナミ研究所。
 一つ忘れてはならないことは、ヒトナミは姿形は似ていても決して『人間じゃない』と言うこと。彼らは意思すらも持たない、そのはずだった。
 首都の春。ヒトナミ研究者教育のために創立された国立創造研究学園最高学部に進学の時期が来た。この国有数のエリート、彼らがヒトナミを造る次世代の研究者候補である。

 ***

「ほら、見てごらんあいつだよ、飛び級を繰り返してさ。リャム・ルー、百年に一人の天才だって!」

 学園の入り口で一人の学生の声にジーン・ミヤツカが振り返れれば、そこには痩せた色白の肌とは対照的な長い黒髪の少年がいた。四年の飛び級で最高学部まで進学した噂のエリート。成績はトップで常に隙を見せないリャム・ルーは、『平凡以上になれない』ミヤツカにとっては遥か遠い世界の人間のはずだった。

「まじかよ……」

 その日、新学期オリエンテーションを終えたミヤツカは絶句する。壁の張り紙で見た、件の生徒リャム・ルーがまさか同じクラスの上に、今年の学生寮の同室だと知ってしまっては。実際のところリャムの人柄なんて知らないが、確かなのは勉強がよっぽど好きだと言うこと。ピアスに染めた金髪のいわゆる少し『チャラついている』ミヤツカは、まさかそんなやつとうまくやっていける自信はなかった。
 国立創造研究学園は全寮制だ。学生は毎年多くが男子であり皆裕福な家庭のものが多い。一方でミヤツカの母はシングルマザーでそれほど豊かな暮らしではなかった。それでもただ息子の手に職を、と願う母の言葉に猛勉強ののちミヤツカが入学したのは十三歳。それから九年してやっと最高学部までたどり着いた。しかしそれをリャムはたったの四年で昇りつめたと言うのだから、彼が相当の変わり者だと言うのは覚悟していた。しかしミヤツカに対する学生の目も似たようなものであることを知っている。

 ***

 ジーン・ミヤツカは昨年、講師と喧嘩した代償として一年ほど留年したのだ。だから今年はミヤツカにとっては二回目の一年生。世間で言う『有数のエリート』は少なくとも講師にやたらと拳は向けないらしい。
 最高学部の寮は学校の敷地内にある。初等学部と中等学部はさらに郊外にあり、最高学部と雰囲気はどこか違っていた。総じてのんびりとした土地で最上級の勉学に励むがコンセプト。しかしこの学園の本来の目的は最高学部にあり、それまでの生活はおまけと言っても構わない。ヒトナミ研究の祖を学ぶこの四年間のために全ては存在するのである。
 ミヤツカの部屋、三十七号室は三階の廊下の端だった。白を基調とした寮は病院のようでその中で掃除のためにヒトナミが慌ただしく廊下を歩いている、彼らは『セカンドタイプ・ルカ』現在一番普及している男性型のヒトナミと呼ばれるアンドロイドだ。基本こちらから話しかけなければ彼らは何も言わない。それはそれで気楽なものでもあるが、人の容姿をしていても存在に体温を感じなくて、どこか不気味でもある。
 食堂は朝晩の食事が用意され、部屋にはシャワーと洗面所。大浴場は四階にある。最高学部に進学したばかりの学生は皆その設備に歓喜の声を上げていた。今までの郊外の古く軋む木造の寮とはだいぶ違う、近代的なこの場所でこれから四年の学びが始まるのだと。

「あ……」
「リャム・ルーだ、よろしく」

 ミヤツカが新しい部屋で荷物の整理をしていると、段ボール箱を抱えたリャムがやって来た。彼の荷物はその一箱きりのようで、中はほとんどが書籍だった。

「……何か?」
「い、いやあ、別に」

 小難しそうな本、電子書籍ならそんなに荷物にもならないだろうに。どうやら古本のようである。リャムの荷物からは図書館のような紙の香りがした。

「名前は?」
「えっ」
「君の名前だよ」
「あ、ジーン・ミヤツカだけど」

 ミヤツカの名前くらい裏で伝わっていても良さそうなものだったが、リャムは聞き覚えも何もないようだった。そしてそれきり二人の会話は途切れてしまい、沈黙の時間が続いていた。片付けが終われば、食事を知らせる放送が流れる。

「食事はバイキングだから早く行ったほうがいいぜ。食べるもの無くなる」
「そう、よく知っているね」
「一年目じゃないからな、俺」
「ふうん」

 リャムはその事実を特に気にした様子はなかった。ミヤツカはどこかほっとした。留年の件はあまり進んで人に言いたくはないことだからだ。それでも一部の間ではもうすでに有名なことだったが。

「……行こうか」
「え」
「食事だよ、君が早く行かないと無くなるって言ったんじゃないか」

 早速、同行することになるとは思わなかった。リャムは黙って廊下でミヤツカが来るのを待っている。素っ気ない話し方をするが、それなりに協調性はあるのかもしれない。
 食堂はすでに食欲旺盛な学生で溢れていた。料理はルカタイプのヒトナミによって作られたもので、白衣姿のヒトナミはここでも無言で忙しく動き回っていた。ミヤツカはプレートに次々と人気のフライものやパスタ類をとって行く。一方のリャムは迷いなかなかおかずを取ろうとしない。優柔不断なのか、結局彼がとったのはトマトのサラダにアップルタルト。まるで若い女子だ、思わず吹き出したミヤツカにリャムは少し頬を染める。

「偏食なんだよ、肉類や魚類は食べられないんだ」
「でも甘いものは好きなんだな」
「悪いか?」
「いいや、別に」

 しかし少量にしてはリャムの食べる速度は遅かった。よく噛んでいるせいか、彼がサラダを食べ始めてからすでに同席の学生は数組入れ替わった。その間にミヤツカは二度おかわりを繰り返して、ようやくリャムはアップルタルトに手を出したところ。もう並んでいる料理は明らかに冷めて人気のなさそうなおかず類しかない。

「おかわりとって来てやろうか?」
「いや、大丈夫。足りるから」
「それだけで?」
「食事は最低限で良いんだ」

 そう言ってナイフとフォークを持った手はあまりに痩せて骨張っている。リャム・ルーは変わり者、どうやらそれは間違いない。

 ***

 食事を終えて先にシャワーを終えたミヤツカは、濡れた髪を拭いながら入れ替わりでシャワーを浴びにいったリャムの本棚を見る。古い文学書から授業で使うような医学書まで。基本授業の教科書や参考書は電子端末で読むものだったから、この書籍類は全てリャムの趣味のものとなる。しかもよく読み込んだのか所々にふせんが貼ってあった。飛び級で四年と言うことは十七歳、これでミヤツカより五つも年下だとは。

「何か?」

 濡れた髪したリャムが戻って来た。ミヤツカがじっと自分の本棚を見ていることに怪訝な表情をする。

「あ、あっと、悪い……いっぱい本持ってるんだな、読書家か?」
「休みの日に古書店に出かけるたびに買ってしまうんだ。だから最近はあまり外出しないようにしている。でも、首都には良い本屋が多そうだね」
「ああ、古書店街にでも行ってみろよ、お前なら破産するぞ」
「ふうん君はこの街をよく知っていそうだ、ミヤツカ」
「生まれは地方だけどな」
「色々教えてもらえるかい、僕は生まれも地方だから」

 そう言って初めて少しだけリャムが笑った。その笑顔にミヤツカは思わず息を飲む。シャワーからあがりたての紅がさした頬に、漆黒の髪が濡れて艶めく。長いまつ毛に大きな目、それは独特の色気があって、リャムが男とはわかっていても興奮するにも値する。小柄だから、後ろから見たらまるで女性のようだ。

「お前、その、危ないぞ」
「何が?」
「自覚がないなら……いいけどよ」

 男子寮には向かない顔。ふざけた同級生にいたずらされなければ良いのだが。
 消灯時刻になり、部屋の明かりを消して二人はそれぞれのベッドで横になった。オリエンテーションで時間がかかったり荷物を運んだりして疲れたのに、ミヤツカにはちっとも眠気は来ない。それはリャムも同じようで一時間近くたった頃、カーテンを小さく開けるリャムの細い手が。その隙間から見える月は眩しいくらいの満月だった。